名古屋駅周辺のビジネスホテル ニュースターナゴヤ 名古屋駅新幹線出口より徒歩3分と、ビジネスや観光の拠点に便利。24時間対応なので急なご宿泊でも大丈夫。
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名古屋にも良き公園が沢山あり、名古屋市民の憩いの場になっています。

名古屋をイメージし、テーマを設け、毎日、更新しております。

久しぶりに名古屋をご訪問くださるお客様、

始めて名古屋をご訪問くださるお客様、

毎日、工夫を凝らしながら、名古屋に関係する何かを

テーマにお届けいたしております。

久しぶりに名古屋をご訪問くださるお客様、

始めて名古屋をご訪問くださるお客様、

名古屋のイメージが届けば幸いでございます。

本日のテーマは公園です!

名古屋にも良き公園が沢山あり、名古屋市民の憩いの場になっています。

白川公園は1967(昭和42)に開園した、都市公園です。
広さ8.93ヘクタールの公園には、大きな広場を中心に1962(昭和37)

開館した天文館(のちの名古屋市科学館)1988(昭和63)に開館した名古屋市美術館があります。


都市中心部にある緑豊かな森にはジョギングや犬の散歩、クラブ活動やダンスの

練習などいろいろな人が集まってきます。美術館は名古屋出身の建築家黒川紀章氏の

代表作で、そのデザインはこの地方の歴史建築の意匠が取り入れられているそうです。

 

| star-nagoya | 08:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
樹齢約千年といわれる神木です。

ホテルの情報だけでなく、

何かをテーマに見つけ、取り上げております。

決して有名では御座いませんが、何か由来ある何かや、

普段、普段何気になっていた何かや、聞いたことが

有るような何かをテーマに選んでお届けいたします。

ご覧頂き、(へ〜!そうなんだ!)と感じて頂ければ、嬉しく思います。

スターナゴヤはどこへ移動するのもとても便利です!

村上社

桜田八幡社の北の出入り口を東に向かい、すぐ左折して

坂を上っていくと村上社があります。ここに巨大なクスノキがあります。

根回り約13.2m、地上1.5mの幹回り約10.8m、樹高約20mです。

枝張りは、東西、南北ともに約20m、樹齢約千年といわれる神木です。

名古屋市の天然記念物に指定されています。
ここにも高市黒人の万葉歌碑が建てられています。碑の刻文は、

桜田へ たづなきわたる あゆちがた しおひにけらし 

たづなきわたる年魚市潟を見下ろす高台にある神社。境内にある

幹回り10.8m、樹高20mにおよぶ楠木の大木は樹齢1000年以上、

鎌倉時代には街道の道標にもなっていたそうです。鳴海と

桜の地を結ぶ、船人の目印にもなっていたと伝えられています。

境内には年魚市潟を歌った『万葉集』高市黒人の歌碑があります。

名鉄本笠寺駅を起点とする名古屋市の史跡散策路『桜田勝景と

古墳めぐり』コースの途中にあります。

鎌倉時代に鳴海から年魚市潟(平安時代以降には鳴海潟)を渡る方法は、

古鳴海八幡社(緑区鳴海町嫁ヶ茶屋)から笠寺(現在の笠寺観音あたり)へ渡る

「下の道」、野並八劔社(天白区野並3丁目)から村上社に渡る「中の道」、

野並八劔社からは鳥栖八剱社(南区鳥栖2丁目)に渡る「上の道」の

3つの道があったことがわかっている。鳴海から村上社の楠を目印に渡った

鎌倉街道は、そのまま西に通じ呼続から再び海となったので渡船で

熱田神宮へと渡った。義経もこの道を通ったと考えることができるそうです。

ちなみに本笠寺駅を起点とする『桜田勝景と古墳めぐり』の

歴史散策路は、村上社から鳥栖八剱社の古墳へと向かうのが順路。

 

住所〜愛知県名古屋市南区楠町17

アクセス〜名古屋高速大高線笠寺ランプから北へ

1kmの桜本町4交差点を右折、600m

 

電車では〜名鉄名古屋本線本笠寺駅から徒歩15分、桜駅から徒歩15

| star-nagoya | 08:39 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
大きさは,間口2間半(4.5m)・奥行き2間(3.75m)で

ブログをご覧頂き、重ねての御礼申し上げます。
毎日テーマを設け、更新しております。
本日のテーマは歴史の中、古き良きロマンに触れてです!
名古屋市内だけでなく、名古屋市近隣の観光名所など
数時間で生ける範囲の場所にて設定しております。
本日は名古屋市の隣接する都市、歴史散策です!

市木辻堂

お堂(市指定有形民俗文化財)の大きさは,
間口2間半(
4.5m)・奥行き2間(3.75m)で,建材には主に松が
使われ,屋根は茅葺きの寄棟造である。周りからの見通しがよいことから
「四つ見堂」とも呼ばれていました。境内の北端には,
1810年(文化7
の記銘のある石の常夜灯があります。辻堂の建築時期は明らかではないが,
この常夜灯と同じころに建てられたと考えられます。かつてこの常夜灯辺りで,
善光寺街道と古瀬間街道が交わっていたそうです。辻堂はこうした
道辺に建てられたお堂で,街道を行き交う旅人の一時の休憩所であり,
市木集落の人々のくつろぎの場であったと思われます。


  お堂の正面奥には観世音菩薩が祭られています。また右奥には,
雨ごい行事に使った鶴亀の板がある。この板は欅の板で,
鶴と亀が浮き彫りになっています。長い間雨が降らない時には辻堂近くの
市木川でこの板を洗い,村中総出でお祈りをしたということだそうです。
霊験あらたかで,お祈りするとたちどころに雨が降り始めたと言われています。

市木町のバス停から北東(鞍ケ池方面)へ向かって歩くと,
すぐ右に辻堂の屋根が見える。お堂に上がり,
見上げると茅葺き屋根の構造がよく分かるそうです。

<所在地> 豊田市市木町神明20
(名鉄三河線豊田市駅下車,
名鉄バス矢並線足助行乗り換え市木町下車,徒歩1分)

| star-nagoya | 08:19 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
お城が沢山ございました。

私共のHPで名古屋の雰囲気やホテルの

雰囲気を感じて頂ければ、幸いでございます。

愛知県など、東海地方はかつて、

お城が沢山ございました。

現存するお城!修復、復活したお城、廃城となり、

名残だけをとどめているお城!

どうぞ、私共、ブログをお楽しみ下さいませ!

日置城は、尾張国愛知郡日置村(現在の愛知県名古屋市中区松原町)にあった城です。

元々は平安時代に開かれた荘園「日置荘」の拠点であったと言われていますが、

遺構などは全く残されていないそうです。築城年・築城者のいずれも不明です。

城主も織田寛定と織田忠寛の2説があるそうです。弘法大師御手植えとされ樹齢

1000年以上とも言われる大楠(樹高20メートル、幹周り7メートル、昭和7年に

愛知県天然記念物指定)があり、織田信長が出陣に際してこの大樹に

戦勝祈願をしたとも伝われますが、この部分については近在の日置神社の話と

混ざっている可能性もあります。なお、城跡とされる範囲は堀川東岸の

熱田台地の縁に位置しており、旅籠町遺跡の別名でも呼ばれます。旅籠町の

地名は江戸時代に朝鮮通信使が名古屋を通った際、下官の宿泊所が

この付近に置かれたことに由来するそうです。

この大楠を御神体として雲龍神社が置かれ、地元では「くすのきさん」と

呼ばれて信仰されてきました。1945年(昭和20年)3月の名古屋大空襲で

焼かれて幹の大部分を失い一度は枯れかけましたが、その後新しい芽が

出て生き延びた事もあって、戦後の復興区画整理事業でも売却される事無く市の

保留地となっていたそうです。2002年(平成14年)秋、名古屋市が樹を伐採して

土地を売却することを地元に通達しましたが、市民からの反対の声が挙がった事から、

神社は廃されたものの「松原緑地」として大楠は残されたそうです。

旅籠町遺跡ではこれまでに石鏃や須恵器片、中世の陶器片などが見つかっており、

縄文・弥生時代から中世に至る集落跡と考えられるそうです。旅籠町遺跡の周辺には

縄文時代晩期の岩井通貝塚、弥生から古墳時代の集落遺跡といわれる

松原遺跡などがあり[、クスノキの根元に位置する盛り上がった地形から、

この場所は大須二子山古墳を首長墳とする「大須古墳群」の一つと推測されて、

雲龍神社古墳とも呼ばれています。神社の緑地化計画に伴って大楠の枝を支える

支柱の設置が行なわれることになり、盛土の一部とその周辺を対象として

2004年(平成16年)2月から約1ヶ月間の発掘調査が行なわれたそうです。

縄文晩期〜弥生初頭の条痕文系土器片や弥生時代後期の高坏・壺の

破片などが見つかったものの、中世の山茶碗や鉢などが主体で、近世の

瀬戸・美濃焼の陶片なども出土するなどしたことから、現在では古墳ではなく

近世から古くとも中世以降に築かれたものと考えられているそうです。

 

| star-nagoya | 08:07 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
由緒ある神社をご紹介申し上げます。

毎日、更新されるスターナゴヤ、

ブログをご覧頂き、誠に有難う御座います。

毎日、テーマを設け、更新しております。

又、愛知県下だけでなく、

東海地方を含めて広くテーマを集めております

本日は愛知県の隣!岐阜県からテーマを選びました。

由緒ある神社をご紹介申し上げます。

護山神社

木曽山林の総鎮守。江戸城御殿再建で当地の木を大量伐採、山神の怒りを察した

幕府の命で切り株にしめ縄を張り、奥社を創建。本社は1843(天保14)

年完成。伊勢神宮遷宮の御用材出発時に御神木祭が行われます。

国道257号付知峡口少し北側から脇道へ。奥社は加子母の国有林内。

木材産地が生んだ神聖な空間です。護山神社は、岐阜県中津川市にある神社。

中津川市付知町(旧恵那郡付知町)に本社、中津川市加子母

(旧恵那郡加子母村)の国有林内に奥社が鎮座する。木曽山(美濃山)

鎮護の守護神。木曽山林の総鎮守。付知町・加子母の総産土神。1838

(天保9年)江戸城・西の丸が焼失し、再建のため裏木曽・木曽山中より

御用材を大量伐採しました。伐採当初より山中で山鳴り・山火事等の

怪奇現象が続出し、江戸城・大奥にまで怪奇現象が発生したそうです。

数々の怪奇現象は山神の祟りによるものとした江戸幕府は、即刻伐採した

全ての切株に注連縄を張り巡らし、山神慰藉の祭典を執り行わせたそうです。

1840年(天保11年)、第12代将軍・徳川家慶の霊山(木曽山)

鎮護を趣旨とする台命により奥社が創建されました。さらに祭典・

参拝の利便を図り、1843年(天保14年)に本社が創建されました。奥社・

本社創建に関わる現場の指揮と、創建後の神社経営は、木曽山林を管轄する

尾張藩に託されたそうです。以来、尾張藩の祈願社・木曽林政の象徴として

歴代藩主の崇敬篤く、当時は尾張十社の一つに数えられました。

維新後、御料林(皇室所有の森林)・神宮御造営材備林(神宮備林)

の守護神として帝室林野局から崇敬されたそうです。1873年(明治6年)

付知村・加子母村を氏子区域として郷社に列格され、1923年(大正12年)

に岐阜県の県社に昇格しました。戦後、1958年(昭和33年)、

岐阜県神社庁より金幣社に指定され、現在に到ります。

神宮(伊勢神宮)の神宮式年還宮裏木曽御用材伐採式の後、

御樋代木奉曳式(岐阜県経由)の出発地として

護山神社にて御神木祭が執り行われます。

| star-nagoya | 08:20 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
大自然に中、生きるべく、先人の知恵を感じられます。

おはようございます。

私共のHPで名古屋の雰囲気やホテルの

雰囲気を感じて頂ければ、幸いでございます。

毎日、名古屋や愛知県に関係する何かをテーマに

選びブログお届けいたしております。

本日は愛知県下に残る大自然をテーマに選びました。

愛知県にも大切にしなくてはいけない自然が沢山残っています。

そして、大自然に中、生きるべく、先人の知恵を感じられます。

決して、有名な観光地では御座いませんが、

素敵な時間が過ごせるかもしれません!

お時間が許されましたら、お出かけ下さいませ。

猿尾堤

 

自然の脅威の中、先日の方々が、汗を流し、築いた堤防です!

皆で協力し合い、作り上げたのかと想像します!!

猿尾堤は、江戸時代から明治時代に木曽三川、特に木曽川で多く築かれた

堤防の一種で 洪水の際、水流をさえぎり水勢を弱め本堤防の決壊を防ぐ

「出シ」と呼ばれる水制施設のことです。猿尾の堤猿尾ともいうそうです。

河道とほぼ直角に、本堤から河川に向かって設けられた小高い堤防である。

洪水の水流を受け止め、流れの勢いを落とし、堤防(本堤)を守る役割があります。

堰の一種とも言えます。長さは100mから300m程度。石で表面を覆っている

場合が多いそうです。多くの地域で見かけられる「横堤」と良く似ています。

猿尾堤の名の由来は、その形が猿の尻から伸びた尾に見えることからです。

現在は治水の問題上殆どが失われていますが、痕跡を残す箇所が多く存在します。

1609年に木曽川の洪水を防ぐ目的と軍事上の目的をかねて、尾張国に

御囲堤が築かれました。尾張国の御囲堤に対し、美濃国は3尺(約1m)低い

堤防しか築いてはならないという不文律により、美濃国は江戸時代を通じて

洪水に悩まされるそうです。その数年後、木曽川の洪水により美濃国側の

堤防が決壊しました。岡田将監が復旧現場を訪れると、頑丈な堤防が決壊し、

弱い堤防が決壊していないことに気付たそうです。弱い堤防の近くには、

川原が小高くなり、あたかも猿の尾のように川に飛び出ている箇所があることから、

「あの猿の尾のように小高い堤防を築くように」と指示を出したそうです。

これが猿尾堤の始まりだそうです。

| star-nagoya | 08:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
愛知県の伝統農作物がテーマです!

おはようございます。

私共、スターナゴヤHPをご覧下さり、

重ねて御礼申し上げます。以前スターナゴヤにご宿泊頂いたお客様!

又、初めてスターナゴヤにご宿泊頂けるお客様、

毎日、愛知県下や名古屋に繋がる何かをテーマに選び

ブログを更新しております。

本日のテーマは愛知県で生産される農作物をテーマに致しました。

愛知県の伝統農作物がテーマです!

意外な愛知県産があります。どうぞ、お楽しみ下さいませ!

白花千石

愛知県の伝統野菜とは・・・?

愛知県は古くから野菜づくりが盛んでした。それは、この土地が温暖な気候と

豊かな水や土に恵まれていただけではなく、農家の人々や、たくさんの人の力が

関わってきたからです。慶長19年(1614)下小田井(旧西枇杷島町)の

青物市を描いた絵から活気ある様子がうかがえるように、経済的・文化的発展とともに

全国各地からさまざまな野菜やその種も集まってくるようになりました。そして、

尾張地域を中心に種や苗を育てて、農家に売る種苗業者が生まれました。知恵と

技術を結集し、優れた品種を作り出して全国の野菜づくりに大きく貢献してきました。

残念ながら現在の野菜づくりの礎となった個性豊かな野菜を店頭で見ることは

少なくなりましたが、これらの野菜は歴史的・文化的遺かもしれません。

伝統野菜の定義としては。〆から50年前には栽培されていたもの。

地名、人名がついているものなど愛知県に由来しているもの。

今でも種や苗があるもの。ぜ錣篝源妻が手に入るもの。と

いう4つの定義を満たすことだそうです。

 

愛知の地方野菜:白花千石
 

愛知県の地方野菜、白花千石は、県西部の甚目寺町をはじめ尾張平野で

栽培されている豆の品種です。マメ科フジマメ属に分類され、つるが伸びる

性質があり、独特の形をしたサヤが付きます。食用には早取りの未熟なサヤが

収穫、利用されます。サヤは薄い緑色でやわらかく適度な香気、独特の風味があるといわれます。
 フジマメが日本に伝来した年代は、平安時代の『新撰字鏡』『本草和名』などに

名が記されていることからそれ以前かといわれています。愛知・岐阜での

千石・万石という呼び名のほかにも多くの別名、地方名があります。インゲンマメ・

鵲(かささぎ)豆・眉児豆・蛾眉豆・ナンキンマメ・サイマメ・八升マメ・トウマメ・

源氏マメ・アジマメ・カキマメ・ツバクラマメ・カンマメなどが記録されています。

石川県では多収量なことから「だら豆」あるいは「つるまめ」と呼ばれて

加賀野菜に加えられています。
フジマメを関西でインゲンと呼んだという記録があるのですが、

これは中南米原産種で17世紀に隠元禅師が中国からもたらしたとされる

インゲンマメ、特にサヤを食するサヤインゲンの記録と混じりあったためと考えられます。

白花千石は、愛知の伝統野菜に選定された35品種の野菜のひとつになっています。

収穫は7〜8月、近年はハウス栽培などで長期間の

収穫ができるようになりました。青物が少ない夏期における貴重な

ビタミン源になっています。和えもの、煮物、てんぷら等に幅広く利用されています。

| star-nagoya | 08:39 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
1996年(平成8)に国指定文化財となりました。

スターナゴヤブログをご覧頂き有難う御座います。

名古屋に関係する何かをイメージし、テーマを設け、毎日、更新しております。

久しぶりに名古屋をご訪問くださるお客様、

始めて名古屋をご訪問くださるお客様、

本日のテーマはお寺です!!!

愛知県はお寺が多い県だそうです!

国の文化財に指定されていますお寺をテーマに選びました。

高月院

浄土宗本松山高月院は,寺伝によると1367(貞治6),松平郷主であった

松平太郎左衛門在原信重の庇護を受けて創建されました。在原信重の娘婿親氏

が寛立上人に深く帰依し,本尊阿弥陀如来をはじめ堂塔すべてを寄進して,

寺名を現在の高月院と改め,松平氏の菩提寺としたと伝えられています。
 1602(慶長7),徳川家康は寺領百石を寄進し厚遇しているそうです。

1641(寛永18)には三代将軍家光により本堂が再建されたとされるそうです。

高月院の住職は将軍の命で選任され,十万石待遇により東海道を籠で往復,

人足8人,馬5匹の使役を許されていたそうです。このように高月院は,

江戸幕府・歴代将軍により将軍家先祖の菩提所として手厚く保護が

加えられていました。本堂の左手奥に松平氏祖先の墓所がある。

一段と高い石垣上に周囲を石製の塀で囲み,葵の紋の刻まれた扉がつけられています。

中央が松平氏の始祖親氏の墓塔である。徳川家康の祖である松平氏は,

伝承によると時宗の遊行僧が諸国を流浪中,松平郷に入り,土豪在原信重の

末娘の婿となり還俗して,松平親氏を名乗り,松平城を本拠としたのが始まりと

言われています。 1996(平成8)に松平氏館跡・松平城址・大給城址・

高月院を合わせ「松平氏遺跡」として国指定文化財となりました。
松平東照宮(松平氏館跡)松平城の居館,旗本松平太郎左衛門の

居館を経て東照宮。
松平城跡東照宮から南東500m。松平親氏の根拠地となった室町時代の

典型的山城。大給城跡大給松平氏の居城。城郭の各遺構は,ほぼ完全に

残されており,この地方では,最も貴重な山城址です。

物見台からの眺望はすばらしいそうです。

 

<所在地> 豊田市松平町寒ヶ入(名鉄三河線豊田市駅より車で約30分)

| star-nagoya | 08:27 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
もしかしたら、漬物の起源となった神社です・・・・?

お早う御座います

テーマを設け、毎日、更新しております。

名古屋郊外や愛知県県下、又、電車で少しの時間で行ける範囲

『1時間〜2時間を思っています』の

観光名所や、歴史散策や神社仏閣などをお届けいたしております。

久しぶりに名古屋をご訪問くださるお客様、

始めて名古屋をご訪問くださるお客様、

より名古屋が身近に感じて頂ければ幸いです。

本日のテーマは名所、神社散策です!

萱津神社

 

もしかしたら、漬物の起源となった神社です・・・・?


 

古墳時代,大和政権成立期のころ,日本武尊が東征の帰途,萱津に立ち寄り,

里人の供した食膳の塩つけものを喜んで食べたという伝承があるそうです。

この塩つけものは,海水からの手作りの塩と野菜を神前の瓶に入れたものが,

相和し風味豊かになったもので,漬物の起源と言われています。そのため

萱津神社は漬物祖神として全国の人々から尊崇されています。なお,このとき,

日本武尊は妻の宮簀姫に会うことができぬままに立ち去ったと伝えられることから,

社叢が阿波手の杜として有名になり,平安時代には紀貫之や紫式部が,

また江戸時代には滝沢馬琴がこの杜について記しているそうです。

日本武尊の東征神話が,大和政権の成立過程といかなる関連があるかを考えるそうです。

また,その過程での各地の伝承が,大和政権の勢力の拡大を

物語っているものであるかもしれません・・・?

毎年8月21日に催される香の物祭は,全国唯一の漬物の神様の祭ということで,

あま市無形文化財に指定されている祭礼です。

なお,萱津は古墳時代のころまでは海岸端であり,鎌倉・室町時代のころまでは

尾張の代表的な宿場町であったと考えられるそうです。その名残りとして,

神社の前を通る旧鎌倉街道沿いには多くの寺院が残っています。

 

 

<所在地> あま市上萱津(かみかやづ)(名鉄津島線甚目寺駅下車20

| star-nagoya | 08:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
忘れてはいけない、歴史が沢山残っています。

おはようございます。

私共のHPで名古屋の雰囲気やホテルの

雰囲気を感じて頂ければ、幸いでございます。

毎日、名古屋や愛知県に関係する何かをテーマに

選びブログお届けいたしております。

本日は愛知県下に残る歴史をテーマに選びました。

歴史散策です!

愛知県にも大切にしなくてはいけない、

忘れてはいけない、歴史が沢山残っています。

岡崎海軍航空隊

過去の歴史は戦争を繰り返さない為にも忘れてはいけないと切に感じます。

 

岡崎海軍航空隊の基地は,豊田市の上郷中学校周辺を北辺とし,安城市尾崎町を

南辺とした一帯にわたる総面積約446haの広大な地にあったそうです。

この基地には航空隊が3つあったそうです。 中央東西一本の滑走路を中心に

第一岡崎海軍航空隊が南に,第二岡崎海軍航空隊が上郷町を中心として

北にあり,第三岡崎海軍航空隊が豊田市桝塚西町を中心とした

位置にあったといわれています。第一,第二岡崎海軍航空隊には,

およそ12,000名が入隊したそうです。6ヶ月間の訓練で,

93式陸上中間練習機(通称赤トンボ)による飛行訓練・航空機整備を行い,

各地の実施部隊へ配属されていったそうです。第三岡崎海軍航空隊は,

特別攻撃のための搭乗員の育成を行い,訓練の後,特別攻撃隊として

沖縄へと飛び立っていきました。敗戦後は,アメリカ軍により施設や

練習機は処分され,滑走路は,農地や工業用地になったそうです。

この戦争で尊い生命を落としてしまった第三岡崎海軍航空隊の

14歳〜19歳の若者たちを悼み,1974年(昭和49)「若桜の碑」が建てられました。

住所・アクセス=若桜の碑(豊田市桝塚西町柳川瀬公園)

(愛知環状鉄道 北野桝塚駅下車 徒歩15分)予科練之碑

(安城市尾崎町熊野神社)(名鉄名古屋本線新安城駅下車,

あんくるバス北部線乗り換え,熊野神社下車すぐ)

 

| star-nagoya | 08:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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