名古屋駅周辺のビジネスホテル ニュースターナゴヤ 名古屋駅新幹線出口より徒歩3分と、ビジネスや観光の拠点に便利。24時間対応なので急なご宿泊でも大丈夫。
  ご案内- 名古屋駅周辺のビジネスホテル ニュースターナゴヤ 施設・客室- ビジネスホテル・ニュースターナゴヤの施設と客室 周辺スポット - 名古屋駅から徒歩3分のビジネスホテル。観光の拠点に便利。 観光案内 - 名古屋駅から徒歩3分のビジネスホテル。観光の拠点に便利。 ブログ- ビジネスホテル・スターナゴヤの最新情報 Q&A  - ビジネスホテル・ニュースターナゴヤへのご質問
お客様のコメントをお待ちしています!
コメント欄が表示されていない場合は、各記事の下の comments リンクをクリックして書き込みしてください。
Page: 1/336   >>
山中にかつて存在した寺院の跡です。

私共、スターナゴヤブログをご覧頂き、感謝申し上げます。
ホテルのご案内だけでなく、勿論、名古屋市内の観光だけでなく、
名古屋市近郊、何かをテーマに選び、毎日、更新しております。
本日は名古屋市郊外の都市でテーマを見つけました!
スターナゴヤはどこへ移動するにも、とても便利です!
ブログをご覧頂いた他府県の皆様!名古屋にご縁のある皆様!
どうぞ、過去のブログも含め、お楽しみ下さいませ!

大山廃寺跡は、愛知県小牧市北東部の山中にかつて存在した寺院の跡です。
正式な名称は「大山峰 正福寺」。通称は「大山寺」。1929
年(昭和4
年)
に国の史跡に指定されています。建物などはまったく残っておらず、
僧坊があったとみられる平らたくなった所に、塔を支えるために設置されたと
考えられている5つの礎石があります。また同寺と所縁がある児神社の
境内から、近年になって平安時代の掘立柱建物3棟と中世の礎石建物2棟が
見つかっているそうです。一帯からは瓦や陶磁器なども多数見つかっていますが、
これらの遺構は現在小牧市歴史館に展示・保存されています。

創建は7世紀後半と考えられています。一時は「西の比叡山延暦寺、東の大山寺」
と称されるほど隆盛を極めましたが、1152年に比叡山延暦寺と三井寺との
間に起きた法論の際、三井寺の僧徒によって襲撃され、
寺は焼き討ちにあったそうです。建物は跡形もなく焼き尽くされ、
和尚と2人の稚児(子供の修行僧)が死亡しました。以後細々と続いていたが、
15世紀中頃に完全に廃絶したそうです。
正福寺の所蔵品と考えられている仏像や文化財が、大山廃寺跡から
山を少し下った場所にある江岩寺に、多数所蔵されています。
大山廃寺跡を含む一帯地域は
、愛知県の「自然環境保全地域特別地区」に指定されています。


住所〜愛知県小牧市大字大山字郷島・仲島
アクセス〜こまき巡回バスの児神社前停留所下車、徒歩20分。
 
 


 

| star-nagoya | 07:29 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
愛知県は工業の盛んな県としてのイメージが高いですが・・・

スターナゴヤHPをご覧下さり、御礼申し上げます。
愛知県や名古屋の特色、ホテルをご紹介出来ればと、
毎日、更新しております。
初めて名古屋へお越しのお客様も、
何度も名古屋へお越しの皆様も
名古屋での滞在が良き滞在であります様、
心からお祈り申し上げます。ご不明な点が御座いましたら、
御遠慮なくフロントにお問い合わせくださいませ。
本日は愛知県での生産、養殖、日本1をテーマに選びました。
愛知県は工業の盛んな県としてのイメージが高いですが、
意外に愛知県は農業や漁業、そして伝統工が盛んな県です。

愛知県は観葉植物生産日本1だそうです!

作付面積〜83ha・出荷量〜19,800千鉢・産出額〜43億円

作付面積・出荷量・産出額 : 全国1位(産出額シェア36,4%

 

観葉植物とは、葉をみて楽しむ植物のうち、通常は屋外で越冬しないものを言います。
つまり、熱帯・亜熱帯産の植物です。ゴムの木やポトスとかはご存じでしょうが、
幸福の木(ドラセナ・マッサンゲアナ)とか青年の木(ユッカ)と
名付けられて売られているものもあります。

  昭和30年代から本格的な生産が始まり、
40年代には観葉植物ブームを迎えました。当時は、業務用の需要がほとんどで、
貸し鉢(レンタル)として使われていました。
現在は、家庭用の需要が伸びて、大きな鉢から小型の鉢へ、
またミニ観葉植物も増えています。


  観葉植物には色んな種類があります。エキゾチックな美しい葉が魅力の
様々な植物を楽しむには、その種類によって注意が必要です。比較的低温に
強いものから、高温を要するものまであります。花
屋さんに聞いて、適度な温度で管理してください。

 

| star-nagoya | 07:04 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
樹高20mにおよぶ楠木の大木は樹齢1000年以上・・・

おはようございます。
私共、スターナゴヤHPをご覧下さり、
重ねて御礼申し上げます。
毎日、愛知県下や名古屋市内に繋がる何かをテーマに選び
ブログを更新しております。
少しでも名古屋の雰囲気や認識を感じて頂ければ幸いで御座います。
本日のテーマは名古屋市内に残る、残さなくてはいけない、
自然をテーマに致しました。どうぞ、お楽しみ下さいませ!
永く、大地に根を下ろし、成長してきた、素晴らしい大木です!
 

桜田八幡社の北の出入り口を東に向かい、
すぐ左折して坂を上っていくと村上社があります。
ここに巨大なクスノキがあります。
根回り約
13.2m、地上1.5mの幹回り約10.8m、
樹高約
20mです。枝張りは、東西、南北ともに約20m、
樹齢約千年といわれる神木です。
名古屋市の天然記念物に指定されています。


ここにも高市黒人の万葉歌碑が建てられています。
碑の刻文は、
桜田へ たづなきわたる あゆちがた 
                 しおひにけらし たづなきわたる

年魚市潟を見下ろす高台にある神社。
境内にある幹回り
10.8m、樹高20mにおよぶ楠木の大木は
樹齢
1000年以上、鎌倉時代には街道の道標にもなっていたそうです。
鳴海と桜の地を結ぶ、船人の目印にもなっていたと
伝えられています。境内には年魚市潟を歌った
『万葉集』高市黒人の歌碑があります。
名鉄本笠寺駅を
起点とする名古屋市の史跡散策路
『桜田勝景と古墳めぐり』コースの途中にあります。


鎌倉時代に鳴海から年魚市潟(平安時代以降には鳴海潟)を渡る方法は、
古鳴海八幡社(緑区鳴海町嫁ヶ茶屋)から笠寺
(現在の笠寺観音あたり)へ渡る「下の道」、野並八劔社
(天白区野並
3丁目)から村上社に渡る「中の道」、
野並八劔社からは鳥栖八剱社(南区鳥栖
2丁目)に
渡る「上の道」の
3つの道があったことがわかっている。
鳴海から村上社の楠を目印に渡った鎌倉街道は、
そのまま西に通じ呼続から再び海となったので
渡船で熱田神宮へと渡った。義経もこの道を通ったと
考えることができるそうです。ちなみに本笠寺駅を
起点とする『桜田勝景と古墳めぐり』の歴史散策路は、
村上社から鳥栖八剱社の古墳へと向かうのが順路。


住所〜愛知県名古屋市南区楠町17

アクセス〜名古屋高速大高線笠寺ランプから
          北へ
1kmの桜本町4交差点を右折、600m
 
電車では〜名鉄名古屋本線本笠寺駅から徒歩15分、桜駅から徒歩15
 

| star-nagoya | 07:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
愛知県下にも沢山の古墳が御座います。

ブログをご覧頂き、重ねての御礼申し上げます。
毎日テーマを設け、更新しております。
名古屋市内だけでなく、名古屋市近隣の観光名所など
数時間で生ける範囲の場所にて設定しております。
本日のテーマは歴史です。古墳をテーマに選びました。
愛知県下にも沢山の古墳が御座います。

青塚古墳史跡公園は、愛知県犬山市青塚にある青塚古墳を中心とした
史跡公園です。犬山市の事業計画に基づき、平成8年(1996年)より
平成12年(2000年)にかけて、青塚古墳の発掘調査・復元作業と共に
公園として整備されたそうです。犬山市南部に位置する。
墳長は123メートル、後円部は直径78メートル・高さ12メートル、
前方部は長さ45メートル・幅62メートル・高さ7メートルの
前方後円墳で、愛知県内の古墳では断夫山古墳に次いで
2番目の規模の古墳だそうです。古墳時代前期の4世紀半ばに
造営されたと考えられています。頂上部には、三等三角点
(標高43.38メートル、点名「学伝」)が設置されているそうです。
青塚古墳群の首長墳と考えられ、青塚のほか茶臼山・
王塚などとも呼ばれていた。墳丘は現在も大縣神社の社地であり、
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは
秀吉方の砦が築かれた記録があるそうです。

小牧・長久手の戦いとは・・・・?

秀吉が青塚古墳を砦とする、天正12年(1584)3月7日、徳
川家康は
3000人の兵士をひきいて浜松城を出陣しました
。一方豊臣秀吉はた3月
21日大軍をひきいて大阪城を出発し、29日楽田(がくでん)に本陣を置きました。この戦で青塚古墳を砦として敵軍から身を守ったのは10万人もの兵をひきいた秀吉軍でした。

この頃、家康軍は小牧山に本陣を置いていました。
長い合戦の末、両軍は尾張長久手にて最終決戦を迎えます。
兵力では秀吉軍が圧倒的に多いのに対し、長く続いたこの
合戦は、徳川家康軍の圧勝に終わりました。

1966年(昭和41年)に犬山市の指定文化財となり、1979
(昭和
54年)に圃場整備事業に伴う発掘調査が行なわれて
壺型埴輪や葺石の残存が確認されたことから、昭和
58
1983年)に国の史跡に指定されました。1996年(平成8年)より
再度の発掘調査が行われ、古墳の規模が明らかにされた。
古墳周囲を基壇が取り巻き、後円部
3段、前方部2段の階段状
となっているそうです。各段に列石が配され、これに沿って
壺型埴輪が
2メートル間隔で廻らされていた。その他、円筒埴輪、
鰭付朝顔埴輪(ひれつきあさがおはにわ)、鏃形石製品が出土しました。
また、同時に古墳の外観復元整備(墳丘遺構面上に
50センチメートルの盛土)がなされ、造営当時の姿が
再現されたそうです。約
2200年前の弥生時代、現在の大口町付近に
小さな集落が点在したのではないかと言われています。
それはたくさんの遺跡が残されていることから推察されています。

やがてその集落は、ひとつの「クニ」になり、「クニ」を治める王が
この地にも誕生しました。青塚古墳は、その当時有力な王が
存在したことを物語っています。古墳時代になると、大陸から
新しい文化が伝わったことによって住まいも、
食べ物も衣服も大きく変わり、人々の生活はゆたかになっていきます。

このころから人々はムラをつくり、集団で生活するようになります。
・大がめの須恵器を使って、水や酒をたくわえるようになりました。
・木製のくわやすきにU字型の鉄をはめ込んだ農具ができて、
米作りが盛んになりました。

・家の中に「かまど」がつくられ、お米や雑穀類を蒸して食べるようになりました。
・このころ新しく作られたのは酪(らく:ヨーグルト)、蘇(そ:バター)、
乾酪(かんらく:チーズ)などの乳製品まるで西洋の食事みたい

・男はそでのついた上着とズボンに、皮でできた靴を履きました。
 長髪をみずらに結い、冠や帽子のようなものをかぶっていました。
・女は巻きスカートに皮でできた靴。 長い髪をまげに結ってかんざしをさした。

住 所〜〒484-0945 犬山市字青塚22-3

アクセス〜名鉄小牧線楽田駅より徒歩約30

| star-nagoya | 07:30 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
音吉は初の和訳聖書を完成した方だそうです!

テーマを設け、毎日、更新しております。

名古屋郊外や愛知県県下、又、電車で少しの時間で行ける範囲

『1時間〜2時間を思っています』

久しぶりに名古屋をご訪問くださるお客様、

始めて名古屋をご訪問くださるお客様、

より名古屋が身近に感じて頂ければ幸いです。

本日のテーマは歴史散策です!

良参寺

音吉は初の和訳聖書を完成した方だそうです!

音吉は1819年(文政2)尾張国知多郡小野浦村に生まれたそうです。当時は小野浦が千石船による廻船業で栄えており、音吉も土地の千石船「宝順丸」で水夫として従事していたそうです。1832年(天保3)音吉ら14人が乗り込んだ宝順丸は、遠州灘で嵐に遭い難破し、1年2か月の漂流の末アメリカワシントン州に漂着しました。その間に乗組員は次々と亡くなり、生き残ったのは音吉、久吉、岩吉の3人となったそうです。そこで3人は、地元の学校に入学し、英語教育を受けることとなったそうです。
 1835年(天保6)イギリス、マカオと連れられ、マカオでイギリスの通訳の仕事をしていたカール・ギュツラフに協力し、世界で初めての和訳聖書がシンガポールでできあがったそうです。1837年(天保8)、アメリカの商船モリソン号で浦賀に着くが上陸できず、再びマカオに帰ったそうです。鎖国のため日本に帰ることができなかった音吉は、後にイギリスに帰化し、イギリスの通訳として日本との交渉に活躍したそうです。

<年譜>〜1819年(文政2)尾張国知多郡小野浦村(現美浜町)で生まれる
1832
年(天保3)乗組員として働いていた宝順丸が遭難をする
1834
年(天保5)アメリカワシントン州に漂着し、現地で英語教育をうける
1835年(天保6)マカオで世界初の和訳聖書を完成させる
1854年(安政元)日英和親条約締結時に通訳として参加する
1864年(元治元)ジョン・マシュー・オットソンとしてイギリスに帰化する
1867年(慶応3)49歳で没
 江戸期の鎖国状態のなかで、帰国が許されなかった人々の悲しみを想像しますと、切なさを感じますが、国際的な活動をした日本人としては、素晴らしさを感じます。

良参寺には遭難した宝順丸の乗組員の墓地があり、その近くには音吉、久吉、岩吉の記念碑があるそうです。すぐ西側には伊勢湾が広がる小野浦海岸があり、当時の廻船業が盛んだった様子がしのばれるそうです。

<関係地>良参寺(美浜町小野浦)

| star-nagoya | 07:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
和菓子のルーツの1つだそうです!!

おはようございます。

毎日、ホテルの情報だけでなく、愛知県下、テーマを探し

ブログを更新しております。

あかだ・くつわ    

和菓子のルーツの1つだそうです!!

 

愛知県津島市に有ります、津島神社で行われる津島天王祭(重要無形文化財)は,南北朝時代の神事に由来があると言われていると同時に,悪疫退散の夏祭りとしても知られています。この津島神社ゆかりの縁起菓子が「あかだ」と「くつわ」です。(1979年,津島市の祖先の遺産を守り育てる条例に基づき,歴史的価値を有するものに指定されたそうです)

「あかだ」は,うるち米の粉を熱湯でよくこねて,直径1cmの団子状にして,菜種油で揚げたものです。神仏習合だった平安時代,弘法大師が悪疫退散を祈願した際,お供えしたお米のお下がりで作ったのが始まりとされていて,仏教の「阿伽陀(不老不死の薬の意)」という意味があり,厄除けとして,参拝者に授けたと言われています。油で揚げる菓子は,遣唐使によって伝えられた「唐菓子」の系統を引くものと言われているそうです。
「くつわ」は,1840年(天保5)にできた菓子で,津島神社の「茅の輪くぐり」の神事に使われる茅の輪を型どったものと言われています。神馬のくつわに似ていることから,「くつわ」と言われるようになったそうです。うるち米ともち米の粉をこねて蒸し,砂糖を加え,馬のくつわ型にして油で揚げます。江戸時代は,神社の参道沿いに,「あかだ」を売る店がたくさん並び,参拝客で賑わっていた。1694年(元禄7)の「津島業書張州雑誌抄」という文献にも津島の代表的な産物として掲載されています。現在は,3軒が販売しているが,江戸時代からの変わらぬ方法で手作りをしている店は1軒である。今なお,夏の天王祭と正月は,「あかだ」と「くつわ」を求める参拝客で賑わっています。
 近年,食の研究に伴い,和菓子のルーツの一つとも言われるようになってきているそうです。

 

 

<関係地>津島市袮宜町(名鉄津島線津島駅より徒歩15分)

 

| star-nagoya | 07:23 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
依頼さえすれば・・・・

お早う御座います。

毎日、ブログを更新しております。

ホテルの情報だけでなく、愛知県下や愛知県近隣の県の

何かをテーマに見つけ、取り上げております。

決して有名では御座いませんが、何か由来ある何かや、普段、気にも留めませんが、テーマに選んでお届けいたします。

ご覧頂き、(へ〜!そうなんだ!)と感じて頂ければ、嬉しく思います。

葛木渡船

依頼さえすれば、葛木〜〔木曽川〕〜中堤〜〔長良川〕〜森下と渡ることもできるそうです。海部郡では,江戸時代には佐屋街道(東海道の側道)の“佐屋の渡し”と並んで,立田でも木曽川(長良川も含む)の渡しが栄え,尾張西部の水上交通の要となっていた。明治20年代の木曽川改修により,昔の葛木村の半分以上が木曽川の川底へと消え,水上交通路も変わったそうです。荷物では,立田の蓮根等の農産物を,桑名や四日市に運ぶために,木曽川から船頭平閘門への往来が盛んに行われました。また,下客の輸送に,岐阜の大田(現在南濃町)から森下(現在海津町)の木曽川中堤を経て,愛知県の葛木(立田村)への航路が開かれたそうです。その中で,葛木から中堤へ渡る部分を葛木渡船と呼んでいます。

葛木渡船は,昭和30年代に,現在のような県営になるまでは,葛木の集落の船頭さんたちで運行される民間経営であったそうです。運行時間は,日の出から日の入りの間で,基本的には依頼により,運行しました。片道の運行時間は約30分(手こぎ)。貨客については何でも運んだと言うそうです。農産物では,南濃の方からのみかんや米を運び,多度神社や津島神社の祭の際には,大勢のお客さんで賑わったと言う。水郷地区である尾張西部を代表する大切な水上交通路として位置していました。現在では,中堤と森下を結ぶ渡船が運行され,船頭さんは総計9名で,エンジンのついた船です。貨客については,荷物,自転車,人等,昔同様運んでくれます。現在は,航路が県道に指定されているため,料金は無料。事前に海津町役場に依頼をしておけば,葛木〜〔木曽川〕〜中堤〜〔長良川〕〜森下と渡ることもできるそうです。形は変わってきたものの,大昔から続いてきた,地域の水上交通を体験できることは,大変興味深いと思います!

<所在地>愛西市立田地区葛木(木曽川東側堤防上・立田北部小学校の西付近)

| star-nagoya | 07:20 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
愛知県のお祭りをテーマに選びました。

お早うございます。

本日は私共、スターナゴヤのブログをご覧頂き、

感謝申し上げます。

毎日、工夫を凝らし、テーマを毎日決め、更新しております。

愛知県のお祭りをテーマに選びました。

8月のお祭りですが・・・

子供の頃ほどでは御座いませんが、いくつになっても、

お祭りは、ワクワクします!

 

石上げ祭り

尾張三大奇祭のひとつ,尾張富士の石上げ祭りが毎年8月第1日曜日に行われます。「石を尾張富士に上げた者は,願いが叶う」と言われているそうです。言い伝えによると,むかし,犬山の五郎丸村に住んでいた村人が,尾張冨士浅間神社に修行に出向いたとき,祭神の木花開耶姫が夢枕に現れ,「尾張本宮山と山の高さの競争をして負けてしまったのが悔しくてならぬ。もしこの山へ少しでも石を積み上げて高くしてくださる人には,望みを叶えてやる」と告げたそうです。これを聞いた五郎丸村の人たちは,天保の飢饉(江戸時代)の時,「富貴長寿,子孫繁栄,五穀豊穣」の祈願として,木曽川の巨石を拾って浅間神社に奉納したのが始まりといわれています。

毎年,石をくくりつけた担ぎ棒に笹竹を立て,願い事を書いた5色の手拭いで飾り,浅間神社でお祓いをうけ,山道を登る。小石や大勢の肩にかつがれる大石が,山頂に奉納されます。夜祭りも勇壮で,108か所でかがり火をたき,火振りの神事が行われるそうです。 

浅間神社は,織田信長も社殿を造営寄進したと言われるなど,古くから名門や武将の信仰が厚かったそうです。



<所在地>犬山市字富士山(名鉄犬山駅下車 明治村行きバス尾張富士下車)

| star-nagoya | 07:19 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
日本三大大仏を称するそうです。

毎日、他の系列ホテルのブログも
様々なテーマにお届けいたしております

他の系列ホテルのブログも毎日、更新しております。
もう、何年も毎日ブログを更新しております。
以前のブログも含め、お楽しみいただければ幸いで御座います
本日は愛知県の隣の県からテーマにお届けいたします。
岐阜県です!


岐阜大仏は、岐阜県岐阜市の黄檗宗金凰山正法寺にある大仏である。
岐阜県指定重要文化財。釈迦如来の大仏で、
日本最大の乾漆仏である。
日本三大大仏を称するそうです。像高13.7m
、顔の長さ3.63m

目の長さ0.66m、耳の長さ2.12m、口幅1.31m、鼻の高さ0.36m。
周囲1.8mのイチョウを真柱として、木材で骨格を組み、
竹材を編んで仏像の形を形成する。この竹材の上に粘土をぬり、一切経、
阿弥陀経、法華経、観音経等の経典が書かれた美濃和紙を張り付けて
漆を施し、さらに金箔を施してつくられている。経典は当時の住職が
読み一枚一枚貼られている。この事から、別名を「籠大仏」という。
全身が金箔で覆われ、穏やかな顔とあいまって独特の雰囲気がある。
奈良の大仏や鎌倉の大仏と異なり乾漆仏の為、損傷に対して脆いという。
この大仏の製作に大仏製作では一般的な銅ではなく竹を使用しているのは、
岐阜提灯や岐阜和傘など岐阜の文化が関係してるといわれている。

江戸時代の寛政の頃、金凰山正法寺の第11代推中和尚は、
相次ぐ大地震や大飢饉に心を痛め、これらの災害で無くなった
人々を救う為に、大釈迦如来像の建立をはかる。
1791
年(寛政3年)頃から、大仏に使用する経本を集めだすが、
思うように集められず、各地を托鉢してひたすら集める。
1800年にはお堂が完成。その時には大仏の頭部のみが完成していた。
1815年(文化12年)、和尚は志の半ばで亡くなる。
暫く中断したが、第12代肯宗和尚はその後を継ぎ、引き継いで
13年後の1832年(天保3年)、遂に大釈迦如来像は完成する。
つまり建立に38年かかった事になる。胎内仏として、
薬師如来像が安置されている。この薬師如来像は、室町時代、
美濃国厚見郡革手(現在の岐阜市正法寺町)の革手城の城下にあった、
土岐氏氏寺の霊正山正法寺(現在は廃寺)の本尊である。
平安時代の慈覚大師(円仁)作という。開眼供養の際には、
織田信長居住以来の盛儀だったと伝えられている。

大仏様とは・・・?
大仏は、大きな仏像を指す通称。中国などアジアの仏教圏では、
天然の岩壁を彫刻した磨崖仏などが古くから造られてきた。
日本においては、律令制における朝廷の権威を知らしめるために、
聖武天皇が東大寺に奈良の大仏(東大寺大仏)を造立したのを
嚆矢とする。以降、現代に至るまで、大きな功徳を求めた
願主によって各地に大きな仏像が造られてきた。日本各地に
「大仏」を称する仏像があるが、どのくらいの大きさの仏像を
「大仏」とするかという明確な基準は特にない。『広辞苑』は
「丈六(1
丈6
尺=約4.85m)以上の大きな仏像」と定義しているが、
その定義より小さくても「大仏」と称するものもある。

所在地:岐阜県岐阜市大仏町8。開館日:年中無休。
開館時間:9:00
〜17:00。
拝観料:大人 200円、小人 100円。駐車場:あり
アクセスは〜無料の駐車場があるが、数台分しか無い。
公共交通機関としては、岐阜駅及び名鉄岐阜駅より
岐阜バスで岐阜公園、長良橋方面のバス(高富行き等)
で「岐阜公園歴史博物館前」バス停下車徒歩5
分。
尚、岐阜駅及び名鉄岐阜駅に戻る場合、
「大仏前」バス停を利用する。

 

| star-nagoya | 07:29 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
本日のテーマは愛知県で生産される農作物をテーマに致しました。

おはようございます。
私共、スターナゴヤHPをご覧下さり、
重ねて御礼申し上げます。以前スターナゴヤにご宿泊頂いたお客様!
又、初めてスターナゴヤにご宿泊頂けるお客様、
毎日、愛知県下や名古屋に繋がる何かをテーマに選び
ブログを更新しております。
本日のテーマは愛知県で生産される農作物をテーマに致しました。
意外にも、食卓で当たり前の野菜の生産、愛知県日本1があります。
どうぞ、お楽しみ下さいませ!

愛知県は古くから野菜づくりが盛んでした。それは、
この土地が温暖な気候と豊かな水や土に恵まれていただけではなく、
農家の人々や、たくさんの人の力が関わってきたからです。 
慶長19年(1614)下小田井(旧西枇杷島町)の青物市を描いた
絵から活気ある様子がうかがえるように、経済的・文化的発展とともに
全国各地からさまざまな野菜やその種も集まってくるようになりました。
そして、尾張地域を中心に種や苗を育てて、農家に売る種苗業者が
生まれました。彼らは知恵と技術を結集し、優れた品種を作り出して
全国の野菜づくりに大きく貢献しきたのだろうと思います。

愛知県のキャベツは、作付面積、生産量ともに全国一で、特に冬から春にかけて
県内をはじめ全国の消費地に出荷されています。

 その生産の歴史は、全国で最も古く、明治年代に名古屋市近郊で都市園芸として始まり、
愛知の伝統野菜に選定された「野崎中生キャベツ」をはじめとする多くの優良な品種を
全国各地に送りだしてきました。現在では、温暖な気候や用水が整備された
立地条件を活かして東三河地域を中心に生産されています。

 キャベツは品種により春系と冬系に大別されますが、春系は柔らかく味が良いため
生食用に向き、冬系は硬くしまって煮くずれせず、加熱すると甘みが増すことから
調理用に向いています。

 また、キャベツは「自然の潰瘍(かいよう)薬」と呼ばれるビタミンUをはじめ、
ビタミンCや食物繊維など、体に良い成分を多く含んでいます。

 おいしいものを選ぶには、外葉がみずみずしく、持ってみて硬く重量感が
あるものがよいとされています。



作付面積5,320ha  収穫量〜235,500t  産出額〜176億円
作付面積・産出額:全国1位生産量:全国2

キャベツ(英語:Cabbage、Brassica oleracea var. capitata)、
アブラナ科アブラナ属の多年草。野菜として広く利用され、
栽培上は一年生植物として扱われるそうです。名前は英語に
由来するそうですが、さらにその語源はフランス語のcaboche
(頭)から。別名の甘藍(かんらん)は中国語名の甘藍(ganlan)
から、玉菜(たまな)は結球する性質に由来するそうです。
由来は古代よりイベリア人が利用していた原種がケルト人に伝わり、
ヨーロッパ中に広まったとされるそうですが、当時は野菜より
薬草として用いられ、古代ギリシャ・古代ローマでは胃腸の
調子を整える健康食として食されていたそうです。その後、
9世紀頃に野菜としての栽培が広まりました。現在日本で
普及しているものは、12世紀から13世紀のイタリアで
品種改良されたものが起源とみられるそうです。18世紀に
アメリカ合衆国へ渡ると、より肉厚で柔らかく改良が進んだそうです。


日本で普及したのは幕末の1850年代に伝わり、明治にかけて
外国人居留地用として栽培されたそうですが、一般の日本人が
口にすることはなかったそうです。1874
年(明治7年)、
内務省勧業寮がのちの三田育種場で欧米から取り寄せた種子で栽培試験を
行ったのが、本格的な生産の始まりとされています。試験地は北海道に移され、
北海道開拓使が発行した「西洋蔬菜栽培法」に、キャベイジの名で
記載されたそうです。大正時代に品種改良が進められ、寒冷地に適することから、
栽培は北海道のほか、東北地方や長野県で拡大したが、洋食需要が限られた
戦前にはそれほど普及しなかったそうです。戦後、食糧増産と食の洋風化が
相まって生産量は急激に増加し、1980年代にはダイコンと並ぶ
生産量となったそうです。これ以前にも、江戸時代前期にオランダから
持ち込まれ、一部で栽培されていたとみられるそうです。貝原益軒が
1709年(宝永6年)に出版した『大和本草』にはオランダナ(紅夷菘)
として「葉は大きくて艶がなく白っぽい。花はダイコンに似る!!!
おいし!!!3年で花が咲き、カブの仲間である!!!」
と紹介されているそうです。しかし食用として広まることはなく、
むしろ観賞用としてハボタンを生むこととなった。
また、ハボタンがケールの品種であることから、
渡来したのはキャベツではなくケールだったと考えられます。
 
 

| star-nagoya | 07:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

カレンダー

     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< September 2017 >>

スポンサードリンク

プロフィール

オススメ

検索

最近のエントリー

コメント

月別

リンク

その他

無料ブログ作成サービス JUGEM

モバイル

qrcode
館内施設のご案内
HOME ご案内| 施設・客室| 周辺スポット| 観光案内| ブログ| Q&A| ご予約| 交通案内| 系列ホテル| お問合せ
愛知県名古屋市 ビジネスホテル ニュースターナゴヤ 名古屋駅新幹線出口より徒歩3分と、ビジネスや観光の拠点に便利。24時間対応なので急なご宿泊でも大丈夫。 名古屋市中村区椿町3-15
Tel.052-452-0040 Fax.052-453-1924
pagetop
 
ご予約 - ニュースター名古屋の宿泊予約
交通案内 - 名古屋駅新幹線出口より徒歩3分
系列ホテル - 名古屋駅周辺の系列ビジネスホテル
フレンドシップホテル - ビジネスホテル・スターナゴヤがお薦めする素敵なホテル
お問合せ - ビジネスホテルニュースターナゴヤへのお問合せ
Copyright 2005− Star Nagoya All Rights Reserved.
ご予約 スターナゴヤグループトップ 名古屋駅周辺のビジネスホテル ニュースターナゴヤ 名古屋駅新幹線出口より徒歩3分と、ビジネスや観光の拠点に便利。24時間対応なので急なご宿泊でも大丈夫。 HOME 名古屋駅周辺のビジネスホテル ニュースターナゴヤ 名古屋駅新幹線出口より徒歩3分と、ビジネスや観光の拠点に便利。24時間対応なので急なご宿泊でも大丈夫。 STAR NAGOYA GROUP 名古屋駅周辺のビジネスホテル ニュースターナゴヤ 名古屋駅新幹線出口より徒歩3分と、ビジネスや観光の拠点に便利。24時間対応なので急なご宿泊でも大丈夫。 名古屋駅周辺のビジネスホテル ニュースターナゴヤ 名古屋駅新幹線出口より徒歩3分と、ビジネスや観光の拠点に便利。24時間対応なので急なご宿泊でも大丈夫。 pagetop