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御挨拶
私共、スターナゴヤHPをご覧下さり、
誠に有難う御座います。
JR名古屋駅太閤通り出口近郊にスターナゴヤグループ
3館のスターナゴヤが御座います。
それぞれのホテルにそれぞれの特色が御座います。
お客様のご都合に合わせ、
スターナゴヤをお選び頂ければ幸いで御座います。
ご不明な点が御座いましたら、
お気軽にフロントにお問い合わせくださいませ。
御来館心よりお待ち申し上げております。
とても好評です!
新しいサービスを始めました。
毎日、読売新聞(朝刊)をロビーにご用意いたします。
朝、6時ぐらいにはご用意できます。「新聞休刊日不可」
ご自由にお持ち下さいませ!
50部〜70部は用意が御座います。

JR名古屋駅太閤通出口から徒歩3分〜5分圏内に
スターナゴヤが3館御座います。
名古屋鉄道名古屋駅や近畿鉄道名古屋駅
からは10分〜15分圏内です。
又、地下鉄名古屋駅からは5分〜7分圏内です。
JR高速バス乗り場は2分〜4分程度です。
名鉄バスセンターは10分〜15分圏内です。
旅行やお仕事の中継地点としては絶好の立地です!
第1スターナゴヤ、第2スターナゴヤ、ニュースターナゴヤ、
お好みや雰囲気にてお選び頂き、ご予約下さいませ。

全室、20インチ薄型テレビを設置して御座います。
一般放送は無料で御座います。
有料放送も御座います。
どうぞ、お楽しみ下さいませ。
全室、インターネット接続可能室で御座います。
インターネット接続はサービスでございます。
LANケーブルをお忘れでしたら、フロントに御座います
お気軽にフロントに申し付け下さいませ。
尚、貸し出し有料PCも御座います。
フロントにお尋ね下さいませ。1日、1000円です。
お気軽にフロントに申し付け下さいませ。

全室、保冷庫を完備して御座います。
近隣には数件のコンビニが徒歩2分圏内に御座います。
お気軽にフロントにお尋ね下さいませ。
全室、シャワートイレを設置して御座います。
毎日、心を込め、清掃スタッフは室内清掃を行っております。
毎日、フロントスタッフは笑顔で
御客様をお迎え致しております。

ニュースターナゴヤロビーにPCを1台設置して御座います。
どうぞ、ご自由にインターネットをお楽しみ下さいませ。
ご利用はサービスで御座います。
ホテルと致しましては多くの
お客様にご利用頂きたいと考えております。
どうぞ、ご理解とご協力の程、お願い申し上げます。

ロビーにウェルカムドリンクをご用意致しております
24時間、ウェルカムドリンクをお楽しみいただけます。
温かい珈琲や冷たいジュース
ご自由にお楽しみ下さいませ。
室内にお持ち頂きても結構で御座います。
でも、室内にお飲み物をお持ち頂く場合、
コップに蓋を付けていただければ、幸いで御座います。
多くのお客様にご好評です!
朝、6時ごろから美味しい3種類のパンをご用意致しております。
どうぞ、ご自由にご賞味下さいませ。
室内にお持ちいただいても結構で御座います。
一般に市販されているパンでなく、レストランや喫茶店で
食べられるパンです。
十分な数をご用意致しておりますが、数に限りが御座います。
どうぞ、ご理解の程、お願い申し上げます。
スターナゴヤ近郊の居酒屋さんは5時開店のお店が多いですが、
うまいもん家ぶ〜じゅは4時開店です。
今日は早くお仕事が終わったとき、お立ち寄り下さいませ。
冷たいビールが美味しいです!
又、貸切も可能でございます。
大将が笑顔で御客様をお迎え申し上げます。
是非、お気軽にお問い合わせ下さいませ!
スターナゴヤご宿泊のお客様限定の晩酌セットも
御座います。
温かいおかずにご飯!ビールが付いています。


お早う御座います。
毎日、もう、年々もブログを更新しております。
ホテルの情報だけでなく、愛知県下や愛知県近隣の県の
何かをテーマに見つけ、取り上げております。
スターナゴヤからは徒歩10分〜15分、
名鉄電車や名鉄バスで行けます、明治村の中、
歴史的建物をご紹介致します。明治村は日本が文明開化を
経験した頃の建物が沢山御座います。
1つの建物にも歴史が御座います。
どうぞ、ブログをお楽しみ頂き、
お時間が許されましたら、お出かけ下さいませ。
明治村とは・・・?博物館 明治村(はくぶつかん めいじむら)は、明治時代の建物等を移築・復元し、当時の歴史や文化を今日に伝えようとする野外博物館です。通称「明治村」。愛知県犬山市にあります。
アクセスは
電車・バスをご利用の場合
・『名鉄名古屋駅』から『名鉄犬山駅』下車 バス20分
※犬山駅は東口です。「明治村行」にご乗車ください
をご利用の場合
・中央自動車道「小牧東IC」から3km
・国道41号上小口2丁目交差点から6km
または、兼清交差点から5km
・国道19号明知町北交差点(小牧東インター道路利用)から5km
旧所在地 名古屋市中区二の丸 建設年代 明治6年(1873)

幕末、維新の動乱時、度重なる列強国の軍事的示威行動をまのあたりにして、
幕府、雄藩は軍事力の近代化の必要性を痛感したそうです。薩摩、
長州がイギリスに教えを受けたのに対し、幕府はフランス方式を取り入れ、
これが明治政府にも引き継がれて、日本陸軍の基礎が形成されていきました。
明治4年(1871)東北から九州まで四分割された各区域にそれぞれに鎮台が
置かれ、同6年(1873)には広島、名古屋にも鎮台が設けられた。
各鎮台のもとには歩兵聯隊が置かれますが、名古屋鎮台の管内では
名古屋と金沢に組織され、名古屋に置かれたものが歩兵第六聯隊です。

明治政府は単に軍事組織や訓練方法だけでなく、兵舎等の軍用建造物に
ついてもフランスから学んでおり、明治6年(1873)の聯隊創設時に建てられた
歩兵第六聯隊兵舎も、フランスの建築書を基に海外の例に学んで造られたそうです。
現在明治村に遺るのは、方形の営庭を囲んで配されていた兵舎のうちの
一棟で、もとは50mを超える長い建物でしたが、
移築に際し約三分の二に切り縮められています。
単純な四角形の上ゲ下ゲ窓が並び、素朴な印象を与えますが、
構造は大変頑丈で、外側の柱は全て土台から軒に
達する太い通し柱になっており、壁下地になる木摺を斜めに打ち、瓦を張って、
白漆喰で仕上げています。このため、地震にも火災にも強く、断熱性も高いそうです。
尚、創建当時の窓は現在の約半数でしたが、のちに室内を明るくするため
増設されています。明治村では屋内の展示環境も考慮し、増設された
状態で復原しています。
木製のベッドが並ぶ内務班。全ての家具が耐久性に重点を
置いて作られている。他に中隊長室、下士官室等が当時の姿に復原されています。
おはようございます。
毎日、何かをテーマを送り致しております。
毎日、名古屋近郊名所をお送りいたして降ります。
毎日、愛知県下の名所をお送りいたして降ります。
毎日、愛知県近隣の県の名所をお送りいたして降ります。
毎日、ホテルのイメージをお送りいたしております。
お客様に名古屋のイメージが届けば幸いでございます。
本日のテーマはスターナゴヤ館内情報で御座います。
JR名古屋駅太閤通出口から徒歩3分〜5分圏内に
スターナゴヤが3館御座います。
名古屋鉄道名古屋駅や近畿鉄道名古屋駅
からは10分〜15分圏内です。
又、地下鉄名古屋駅からは5分〜7分圏内です。
JR高速バス乗り場は2分〜4分程度です。
名鉄バスセンターは10分〜15分圏内です。
旅行やお仕事の中継地点としては絶好の立地です!
第1スターナゴヤ、第2スターナゴヤ、ニュースターナゴヤ、
お好みや雰囲気にてお選び頂き、ご予約下さいませ。
第1スターナゴヤはJR名古屋駅から、
系列ホテルより微妙に数十秒、1番近いです。
又、特徴としては館内に駐車場『6台収容』が御座います。
1部の客室からは新幹線、をご覧いただけます!
勿論で御座いますが、スターナゴヤ系列の中、ツインルーム全16室、ご用意できます。
ニュースターナゴヤの最大の特徴と致しましては、最上階は女性専用フロアー
レディースフロアーが御座います。
1部の客室からは新幹線、をご覧いただけます!

ロビーにウェルカムドリンクをご用意致しております
24時間、ウェルカムドリンクをお楽しみいただけます。
温かい珈琲や冷たいジュース
ご自由にお楽しみ下さいませ。
室内にお持ち頂きても結構で御座います。
でも、室内にお飲み物をお持ち頂く場合、
コップに蓋を付けていただければ、幸いで御座います。
多くのお客様にご好評です!
朝、6時ごろから美味しい3種類のパンを
ご用意致しております。
どうぞ、ご自由にご賞味下さいませ。
室内にお持ちいただいても結構で御座います。
一般に市販されているパンでなく、
レストランや喫茶店で
食べられるパンです。
十分な数をご用意致しておりますが、
数に限りが御座います。
どうぞ、ご理解の程、お願い申し上げます。

全室、インターネット接続可能室で御座います。
ご自身のPCをお持ち頂ければ、
客室内でインターネットをお楽しみいただけます。
LANケーブルをお忘れでしたら、
ご遠慮なくフロントに申し付け下さいませ。
LANケーブルをお貸ししております。
尚、有料貸し出しPCも御座います。
一晩、1000円で御座います。
お気軽にフロントに申し付け下さいませ。
又、有料貸し出しプリンターも御座います。
一晩、500円で御座います。『A4用紙20枚付き』
至急の書類作成が必要になったときなど便利です!
全室、保冷庫を完備して御座います。
近隣には数件のコンビニが徒歩2分圏内に御座います。
お気軽にフロントにお尋ね下さいませ。
全室、シャワートイレを設置して御座います。
毎日、心を込め、清掃スタッフは室内清掃を
行っております。
毎日、フロントスタッフは笑顔で御客様を
お迎え致しております。
全室、20インチ薄型テレビを設置して御座います。
全室、インタ−ネット接続可能室で御座います。
全室、保冷庫を完備致しております。
とても好評です!
新しいサービスを始めました。
毎日、読売新聞(朝刊)をロビーにご用意いたします。
朝、6時ぐらいにはご用意できます。「新聞休刊日不可」
ご自由にお持ち下さいませ!
50部〜70部は用意が御座います。

ニュースターナゴヤロビーにPCを
1台設置して御座います。
どうぞ、ご自由にインターネットをお楽しみ下さいませ。
ご利用はサービスで御座います。
ホテルと致しましては多くの
お客様にご利用頂きたいと考えております。
どうぞ、ご理解とご協力の程、お願い申し上げます。
又、急なご宿泊が必要になったとき、ロビーPCをご利用頂き、
インターネットサイトからご予約いただきますと、
お得なご宿泊料金でお泊りいただけます。
ご自由にご利用下さいませ。

スターナゴヤグループ3館で駐車場は22台分御座います。
ニュースター7台!屋外4台!屋内3台
第1スターナゴヤ、第1スターナゴヤ館内6台!
第2スターナゴヤは屋外9台!
御座います。収容台数には限りが御座います。
どうぞ、事前の駐車場予約をお願い申し上げます。
余談ですが、第1スターナゴヤ駐車場にはツバメの
巣が御座います。
もう、年々、毎年、燕が子作りにやってきて、
巣立っていきます。
毎年のホテルスタッフの楽しみ、なんです!!
他の系列ホテルのブログも様々な
テーマにお届けいたしております
他の系列ホテルのブログも毎日、更新しております。
本日は名古屋の味、麺類をテーマにお届けいたします。
どうぞ、ご覧下さいませ!!!
ホテル近くにも美味しい名古屋飯を食べられる
店が御座います。
お気軽にフロントにお尋ね下さいませ!!!
スターナゴヤはJR名古屋駅太閤通出口付近に
3館御座います。
それぞれに多少の違いが御座います。
お客様お好みにてご宿泊頂ける
ホテルをお選び頂ければ幸いでございます。
どうぞ、過去のブログも含め、お楽しみ下さいませ.
ひつまぶし
細かく刻んだうなぎをごはんにまぶして食べるひつまぶし。
まずはそのまま。次にネギやわさび、のりなどの薬味を入れて
。最後はお茶漬けでと、3通りのおいしさが楽しめます。
ご飯の上に刻んだ鰻が載ったまま出されるので、
これをしゃもじで"十"の形に切分ける。
1. 最初はこれをそのまま茶碗に一杯取り、そのまま食べる。
2. 次はおかわりの様に2杯目を取り、薬味
(ネギ・わさび・のり・みつば等)をのせて食べる。
3. 3杯目は2杯目の様にしたものにお茶(煎茶)
もしくはだし汁をかけ、食べます。
4. 最後は1〜3のうち最も気に入った食べ方で食べるんです。

味噌カツ名古屋人は赤味噌が大好きです!
見た目ほど辛くなく、むしろ、甘辛意味噌です。
揚げたてのカツに、たっぷりの味噌がかかり、
ついついごはんをおかわりしたくなるおいしさ。名古屋のとんかつ屋で、
みそかつのない店はほとんどないほどの人気料理です。
味噌カツは豚カツに、八丁味噌などの豆味噌、鰹出汁、
砂糖をベースに店によって様々なものを加えて甘くした
独特のタレをかけたもの。甘辛い味になっているものが多いです。
スターナゴヤ近くにも味噌カツの名店が御座います。
お気軽にフロントにお尋ね下さいませ!
きしめんという名前の由来は諸説があります。
【紀州麺 説】:江戸時代に、紀州藩の殿様が尾張藩の
殿様に平たい麺を献上した。この紀州麺が「きしゅうめん」
「きしゅめん」「きしめん」……
といつの間にかなまったとする説。
【きじめん 説】:その昔、尾張の殿様が好んで
キジ肉入りの麺を食べていたのをルーツとする説。
現在、きしめんに必ず乗っている油揚げは、
ぜいたく品だったキジ肉の替わりに入れられるように
なったとか。
碁子麺 説】:麺生地を平たく伸ばし、竹筒で抜いて
碁石のように丸くした碁子(ごし)麺。ここから、
平たい麺を棊子麺(きしめん)と呼ぶようになったとする説、
だそうです。
きしめんのルーツは愛知県刈谷市今川町にあるそうです!!
江戸時代、東海道の芋川に立場(休憩所)があり、
平打ちのうどんが名物であったそうです。その名前が
芋川うどんと呼ばれていたそうです。芋川うどんがが西に
伝わってきしめんとなり、そして、東に伝わって、
「ひもかわ」と呼ばれるようになったとされているそうです
。ただ、「芋川」の位置については、同町のほか、隣の今岡町や
一里山町ではないか・・・?かも知れないそうです。
おはようございます。
私共のHPは如何で御座いましょうか?
本日は愛知県、伝統文化をテーマに選びました。
愛知県に素晴らしい伝統工芸品が御座います。
伝統工芸品は日常使うものですが、
芸術の域にあるのかなと思います。
どうぞ、ご覧下さいませ。
お楽しみ頂ければ幸いでございます。
有松・鳴海絞り
愛知県名古屋市の伝統工芸をご紹介致します!
伝統工芸の定義は主として日常生活に使われるもの
冠婚葬祭や節句のように一生に数回、あるいは年に数回の行事であっても、日本人の生活に密着し、一般家庭において行われる行事であれば「日常生活」の範囲と考えます。
石燈篭、人形、置物など実用性のないのもであっても、家庭にあって安らぎと潤いをもたらすと考えられる場合はこれに含まれまれるそうです。
ほとんど手作業で製造されたもの
伝統的工芸品の持ち味と手作業性は切り離せない関係です。伝統的技術を生かして機械化を進めたとしても、その結果、本来の持ち味が消えてしまっては何にもなりません。従って主な工程は手作業で行われることが条件となっています。
伝統的な技術や技法によって製造されたもの
「伝統的」とは“100年”以上前から続いていることが基準になっています。
100年前の技術や技法そのままではなく、受け継がれてきた間に改善・発展があったにしても、製品の特質を変えるまでに至らなければ、「伝統的」と解釈されます。
伝統的に使用されて来た原材料を使っているもの
技術・技法と同じように原材科も製品の持ち味に大きく関係します。ここでいう「伝統的」も前と同じように100年以上の歴史を意味しています。
当然主な原科は天然のものとなりますが、現在既になくなったものや手に入りにくい材料もありますので、持ち味を変えない範囲で例外として一部、他の材料の使用が認められています。
一定の地域に生産者が集まっていること
一定の地域にある程度の人々(10企業以上または30人以上の従業者)が製造に携わっていなければなりません。すなわち、ある程度の規模があり、いわゆる産地を形作っていることが必要なのだそうです。

有松・鳴海絞り(ありまつ・なるみしぼり)は愛知県名古屋市緑区の
有松・鳴海地域を中心に生産される絞り染めの名称。
江戸時代以降日本国内における絞り製品の大半を生産しており、
国の伝統工芸品にも指定されています。「有松絞り」、
「鳴海絞り」と個別に呼ばれる場合もあるそうです。木綿布を
藍で染めたものが代表的で、模様については他の生産地に
類を見ない多数の技法を有するそうです。現在の有松地域は
江戸時代のはじめには人家の無い荒地であったため
この地域を通る東海道の治安に支障をきたしており、
尾張藩は人の住む集落を作るために住民を募り1608年
(慶長13年)東海道沿いに新しい集落として有松が開かれたそうです。
しかし、有松地域は丘陵地帯であるため稲作に適する土地ではなく、
また鳴海宿までの距離が近かったことから間の宿としての発展も
望めなかったそうです。そこで有松に移り住んでいた住人の一人である
竹田庄九朗が、1610年(慶長15年)から1614年(慶長19年)に
かけて行われた名古屋城の築城(天下普請)のために九州から
来ていた人々の着用していた絞り染めの衣装を見て、
当時生産が始められていた三河木綿に絞り染めを施した
手ぬぐいを街道を行きかう人々に土産として売るようになった
と言われています。また、1655年(万治元年)に豊後
(現在の大分県)より移住した医師三浦玄忠
(ただし医師であったこと、玄忠という名前については疑問も
呈されている)の妻によって豊後絞りの技法が伝えられ、
有松の絞り染めは大きな進歩を遂げたそうです。
このときに伝えられた技法は三浦絞りあるいは豊後絞りの名前で
呼ばれ現在にも伝わっています。なお、鳴海絞りでは
この三浦玄忠夫人を鳴海絞りの開祖と伝えているそうです。
有松での絞り染めが盛んになるにつれ、鳴海などの
周辺地域でも絞り染めが生産されるようになっていったそうですが、
この状況に対し有松側は尾張藩に他地域における絞り染め生産の
禁止を訴え、1781年(天明元年)尾張藩は有松絞りの保護のため
有松の業者に絞りの営業独占権を与えたそうです。ただし、
絞りの生産が全て有松の町で行われていたわけではなく、
鳴海を含む周辺地域への工程の下請けが広く行われていきました。
独占権を得た有松には現在につながる豪壮な町並みが
形作られたそうです。その後も絞り染めに対する統制は強化され、
有松は尾張藩の庇護の下絞り染めの独占を続けましたが、
幕末になると凶作に苦しむ領民の生活扶助のため独占権が
解除されたそうです。明治に入ると鳴海や名古屋、大高などの
周辺地域にも絞り染めを扱う業者が現れるようになり、
愛知県以外でも全国各地で絞り染めが生産されるようにもなり、
東海道が交通の中心から外れたことも影響して有松の絞りは
衰退期を迎えたそうです。しかし、明治の中ごろ以降は販路の
拡充や新しい技法の開発などの努力が実り、生産量も増加、
かつての行政上の特権は失われましたが、新技法の開発と共に
特許の取得も行われ、これらの特許に守られて有松絞りは
全盛期を迎えることになったそうです。

第二次大戦中には戦時統制が強化されて原料が入手で
きなくなり絞り染めは衰退しますが、戦後に統制が解除されると
復興し、社会にゆとりが生まれると共に生産量も増加しました。
しかし、昭和の中ごろを過ぎると着物離れや安い中国製の
製品との競争、後継者難などから生産量は減少し、
現在ではかつて100種類を越えた技法も大きく数を
減じています。一方で、1975年(昭和50年)9月に
愛知県内で初めて伝統工芸品に指定された他、
第一回国際絞り会議の開催(1992年(平成4年))と「
ワールド絞りネットワーク」の設立、新素材を用いた製品の
開発や国外の見本市への出品など有松・鳴海絞り振興のための
取り組みも行われているそうです。
有松と鳴海は現在共に名古屋市の緑区に属していますが、
名古屋市に編入されるまでは有松は知多郡、鳴海は愛知郡に
属しており、元々は全く別の地域です。有松絞りと鳴海絞りは
現在でこそ「有松・鳴海絞り」として一括して伝統工芸品に
指定されていますが、江戸時代より互いに本家争いや販売、
訴訟合戦を繰り返し、戦後に友禅の人間国宝山田栄一を
鳴海絞りの人間国宝にもしようと運動が行われた際には、
有松側から横槍が入ったと言われています。なお、江戸時代にも
絞り染めの生産の中心は一貫して有松地域でしたが、
正式な宿場ではない有松は旅人の停留する所ではなく
東海道五十三次の一つであった鳴海宿においても販売を
行ったことから、有松絞りも江戸では専ら「鳴海絞り」と
呼ばれていたそうです。
私共、スターナゴヤHPをご覧下さり
心よりの御礼申し上げます。
毎日、ブログを更新しております。
愛知県や名古屋のイメージに繋がる何かをピックアップし、
皆様にお届けいたしております。
本日は愛知県の伝統工芸品をテーマにお届けいたします。
愛知県にも素晴らしい、工芸品が御座います。
どうぞ、お楽しみ下さいませ。
尾張七宝
愛知県名古屋市の伝統号芸をご紹介致します!
伝統工芸の定義は!!
主として日常生活に使われるもの
冠婚葬祭や節句のように一生に数回、あるいは年に数回の行事であっても、日本人の生活に密着し、一般家庭において行われる行事であれば「日常生活」の範囲と考えます。
石燈篭、人形、置物など実用性のないのもであっても、家庭にあって安らぎと潤いをもたらすと考えられる場合はこれに含まれます。
ほとんど手作業で製造されたもの
伝統的工芸品の持ち味と手作業性は切り離せない関係です。伝統的技術を生かして機械化を進めたとしても、その結果、本来の持ち味が消えてしまっては何にもなりません。従って主な工程は手作業で行われることが条件となっています。
伝統的な技術や技法によって製造されたもの
「伝統的」とは“100年”以上前から続いていることが基準になっています。
100年前の技術や技法そのままではなく、受け継がれてきた間に改善・発展があったにしても、製品の特質を変えるまでに至らなければ、「伝統的」と解釈されます。
伝統的に使用されて来た原材料を使っているもの
技術・技法と同じように原材科も製品の持ち味に大きく関係します。ここでいう「伝統的」も前と同じように100年以上の歴史を意味しています。
当然主な原科は天然のものとなりますが、現在既になくなったものや手に入りにくい材料もありますので、持ち味を変えない範囲で例外として一部、他の材料の使用が認められています。
一定の地域に生産者が集まっていること
一定の地域にある程度の人々(10企業以上または30人以上の従業者)が製造に携わっていなければなりません。すなわち、ある程度の規模があり、いわゆる産地を形作っていることが必要なのです。

尾張七宝の起こりは、江戸時代後期に、現在の名古屋市を
中心とした地域にあたる尾張の梶常吉(かじつねきち)が
作ったのが始まりとされ、常吉によって技術・
技法が確立されました。尾張七宝として確認できる作品
としては、天保4年(1833年)の梶常吉作による
七宝ぐい呑みが最も古いものとされています。
気品と豪華さを誇る尾張七宝は、製作に係る工程を
分業作業に頼っており、またほとんどが家内工業です。
個々の技術の結晶たる作品は、高い評価を受け、
愛されてきました。

天保年間(1830〜1844年)、尾張国の梶常吉が、
オランダ船により輸入された七宝の皿を手がかりに
その製法を発見し、改良を加えたのが始まりとされています。
一般に焼物といえば、陶磁器のように土を成形して
焼き上げますが、七宝焼は、銅又は銀の金属素地を用い、
その表面にガラス質の釉薬(ゆうやく)を施し、花鳥風月
、風景などの図柄をあしらったところに特徴があります。
特に図柄の輪郭となる部分に銀線を施す有線七宝は
尾張七宝の代表的な技術です。
銅(銀)板を用いて花瓶、皿などの形の金属素地を作り、
その上に墨で下絵を描きます。有線七宝の場合は、
下絵にそって銀のリボン線(銀線)を特殊な糊で立てながら
植え付け(植線)、ガラス質の紬薬を施して焼成します。
焼成は4〜8回程度繰り返し行います。その後、
研磨を行い、飾り付けを施して完成です。
花瓶、額、酒器、皿、宝石箱等
特徴
一般に焼き物といえば、陶磁器のように土を成型して焼き上げるが、七宝焼は銅または銀の金属素地を用い、その表面にガラス質の釉薬を施し、花鳥風月、風景などの図柄をあしらったところに特徴がある。特に図柄の輪郭となる部分に銀線を施す有線七宝は、尾張七宝の代表的な技術である。
伝統的に使用されてきた原材料
1. 使用する素地は、銅板または銀板とすること
2. 「植線」に使用する材料は、銀線、真鍮線または銅線とすること
3. 釉薬には、珪石、鉛丹、もしくは硝石またはこれらと等々の材質を有するものを用いること
製造される地域
名古屋市
海部郡七宝町、西春日井郡枇杷島町
数あるビジネスホテルの中、
私共、スターナゴヤブログをご覧頂き、
感謝申し上げます。
ホテルのご案内だけでなく、
勿論、名古屋市内の観光だけでなく、
名古屋市近郊の中、何かをテーマに選び、
毎日、更新しております。
本日は名古屋市郊外の地域でテーマを見つけました!
スターナゴヤはどこへ移動するにも、とても便利です!
ブログをご覧頂いた他府県の皆様!
名古屋にご縁のある皆様!
どうぞ、過去のブログも含め、お楽しみ下さいませ!
本日のテーマは橋です!!!
豊田アローズブリッジ
豊田アローズブリッジ(とよたアローズブリッジ)は、
愛知県豊田市にある伊勢湾岸自動車道
(第二東海自動車道横浜名古屋線)豊田東JCT - 豊田東IC間の
矢作川にかかる橋梁。正式名は矢作川橋。4径間連続PC・
鋼複合斜張橋であり、波形鋼板ウェブ橋。橋長820m、
最大支間長235m(×2)、最大地上高125.8m、
総幅員43.8m。2001年8月着工、愛知万博開幕直前の
2005年3月竣工・供用開始、2004年度土木学会田中賞
(作品部門)を受賞しているそうです。名称は一般公募による。
上下8車線分の幅員を確保していますが、
現在豊田東JCT以東の第二東海自動車道が開通していないため、
中央の4車線を除く暫定4車線で伊勢湾岸自動車道の
一部として供用されているそうです。

矢作川(やはぎがわ)とは・・・?長野県、岐阜県および愛知県を
流れ三河湾に注ぐ河川。一級水系矢作川の本流。
矢作川の水は明治用水などに使われています。
長野県下伊那郡平谷村の大川入山に源を発して南西に流れる、
岐阜県恵那市と愛知県豊田市の奥矢作湖周辺では、
矢作川が県境を決めているそうです。流域に豊田市、
岡崎市などがある。下流域の矢作古川は元の本流であり、
氾濫(はんらん)を抑えるため江戸時代初期に新たに開いた
水路が現在の本流となっています。愛知県碧南市と
西尾市との境で三河湾に注でいます。

地図上では、上流部で「矢作川」の名が付いている川は根羽村を
流れている(根羽川とも呼ばれる)が、矢作川水系としての
源は上村川の上流である大川入山に設定されています。
矢作の名は、矢作橋の周辺にあった矢を作る部民の
いた集落に由来しているそうです。矢に羽根を付けることを「矧(は)ぐ」と
言ったことから「矢矧(やはぎ)」となり、
後に矢作へ書き換えられたそうです。
お早う御座います。
毎日、もう、年々もブログを更新しております。
ホテルの情報だけでなく、
愛知県下や愛知県近隣の県の
何かをテーマに見つけ、取り上げております。
決して有名では御座いませんが、何か由来ある何かや、
普段、気にも留めないですが、
歴史のある何かをテーマに選んでお届けいたします。
ご覧痛き、(へ〜!そうなんだ!)と感じて頂ければ、
嬉しく思います。
スターナゴヤはどこへ移動するのもとても便利です!
JR名古屋駅までは徒歩3分!
名鉄名古屋駅及び近鉄名古屋駅や
名鉄バスセンターまで徒歩10分!
名古屋市市営地下鉄までは徒歩10分!
お時間が許されましたら、
是非、お出かけ下さいませ!
長篠の戦いの特筆すべき点として織田家は当時としては異例の
鉄砲3000丁を用意し、新戦法三段撃ちを行ったとされるのが有名です。
大河ドラマや小説になったとき、必ず描写される、
シーンだと思います。今は分かりませんが、私の時代は
教科書に必ず載っていたような記憶があります!
天正3年5月21日(ユリウス暦1575年6月29日)、
三河長篠城(現愛知県新城市長篠)をめぐり、織田信長・
徳川家康連合軍3万8000と武田勝頼軍1万5000との間で勃発した
戦いです。決戦地が設楽原(設楽ヶ原、したらがはら)および
有海原(あるみ原)(『藩翰譜』、『信長公記』)だったため
長篠設楽原(設楽ヶ原)の戦い(ながしのしたらがはら
の たたかい)と記す場合もあるそうです。通説では、当時最新兵器で
あった鉄砲を3000丁も用意、さらに新戦法の三段撃ちを実行した
織田軍を前に、当時最強と呼ばれた武田の騎馬隊は成すすべも
無く殲滅させられたとされていますが、
様々な論点に異論が存在するようです。

甲斐国・信濃国を領する武田氏は永禄年間に駿河今川氏の領国を
併合し(駿河侵攻)、元亀年間には遠江国・三河国方面へも
侵攻していました。その間、美濃国を掌握した尾張国の織田信長は
足利義昭を擁して上洛しており、当初は武田氏との友好的関係を
築いていたそうです。しかし、将軍義昭との関係が険悪化すると、
元亀3年には反信長勢力を迎合した将軍義昭に挙兵されました。
そこで将軍義昭に応じた武田信玄が、信長の同盟国である
徳川家康の領国である三河へ侵攻(西上作戦)したため、
織田氏と武田氏は手切となったそうです。しかし信玄の急死によって
西上作戦は頓挫し、武田勢は本国へ撤兵。一方の信長は、
朝倉氏・浅井氏ら反信長勢力を滅ぼして、将軍義昭を京都から追放。
自身が「天下人」としての地位を引き継いで台頭しました。
武田氏の撤兵に伴って三河の徳川家康も武田領国に対して反攻、
三河・遠江の失地回復に努めたそうです。天正元年(1573年)8月には、
徳川方から武田方に転属していた奥三河の国衆である奥平貞昌
(後の奥平信昌)が、秘匿されていた武田信玄の死を疑う父・
貞能の決断により一族郎党を連れて徳川方へ再属。
すると家康からは、武田家より奪還したばかりの長篠城に
配された(つまり対武田の前線に置かれた)。武田氏の
後継者となった勝頼は、遠江・三河を再掌握すべく反撃を開始。
奥平氏の離反から2年後の天正3年(1575年)4月には
大軍を率いて三河へ侵攻し、5月には長篠城を包囲しました。
これにより、長篠・設楽原における武田勢と織田・徳川連合勢の
衝突に至たそうです(長篠の戦い)。

長篠城攻城戦
武田の大軍に対して500の寡兵に過ぎなかった長篠城では200丁の
鉄砲や大鉄砲を有しており、激しい反撃で武田軍に善戦しました。
しかし兵糧蔵の失陥により、数日以内に落城必至という状況に
追い詰められます。そこで貞昌の家臣・鳥居強右衛門を密かに逃し、
岡崎城の家康へ後詰を要請させたそうです。
なお、予め家康からの援軍要請を受けていた信長は、
5月13日には3万の軍勢を率いて岐阜を出発しており、
既に岡崎城へ到着していたそうです。
なお、鳥居は援軍が来ることを伝えるべく即日、長篠城に
向かったそうですが、武田軍に捕らえられてしまいます。
武田方は城兵の士気を挫くべく「援軍は来ない」と伝えれば
助命すると提案し、これを鳥居は承諾したそうです。
しかし、鳥居は直前で約定を反故にし「援軍は数日以内に来る」と
伝えて城の士気を高めたため、処刑されたという逸話が残っています。
- 設楽原歴史資料館アクセス〜公共交通機関をご利用の場合
豊橋駅からJR飯田線「三河東郷駅」(50分)下車、
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· 休館日
毎週火曜日(火曜日が休日の場合は次の平日が休館)
年末年始(12月29日から1月3日)
お早う御座います!
先に私共スターナゴヤブログをご覧頂き、
心よりの感謝を申し上げます。
毎日、工夫を凝らし、知恵を絞りながら、
テーマを見つけております。
名古屋市のある愛知県だけでなく、
愛知県と隣接する隣の県から、
本日はテーマを見つけました!
本日は岐阜県からテーマを選びました。
当然、ご存知のことや、
意外にご存じなかった事もあるかと思います!
どうぞ、お楽しみ下さいませ!
石徹白の大杉
石徹白の大杉(いとしろのおおすぎ)は、岐阜県郡上市に
ある巨大なスギの古木です。国の特別天然記念物に
指定され、白山国立公園内にあります。
白山信仰の修験道(美濃禅定道)沿いにあり、
道標の役割も果たしているそうです。泰澄上人が
白山を開山した際、使用していた杖がこの大杉になったという
伝承があるそうです。樹高24 m、幹囲目通り14 m、
樹齢は1,800余年と推定されています。
現在、幹の半分は枯れてしまっているが、
残りの半分は健在だそうです。縄文杉が発見されるまでは、
日本有数のスギの大木であったそうです。
1924年(大正13年)12月9日、国の天然記念物に
指定される(名称は「石徹白のスギ」)。
1957年(昭和32年)7月2日、国の特別天然記念物に
指定されるすぐ北側には、熊清水とよばれる湧水があるそうです。

国指定の特別天然記念物で岐阜県最大、全国でも有数の巨樹。
白山の麓石徹白のさらに山奥にあり、かなり長い道のりだそうです。
階段を登っていくと、目の前が開けて奥に姿を現した大杉。
初めは逆光で壁のように見えるそうです。
その雰囲気のせいか数値よりも大きく見えます。高齢と厳しい
環境のせいか樹勢はよくありませんでしたが、その分威厳があります。
周囲のスギも目通り5mほどありますが、
それらを従えているといった貫禄だそうです。

アクセスは郡上市自主運営バス(白鳥地域)、美濃白鳥駅より
終点「上在所」下車。ここより白山登山道で徒歩2時間。
登山道なので、ある程度の装備は必要。白山中居神社先の
白山美濃禅定道(南縦走路)の登山口には、駐車場と、
休憩用の東屋、トイレなどが整備されている。
駐車場から大杉までは、距離で約300 m、標高差で約90 m、
その急坂には、石とコンクリートによる420メートの
階段が設けられています。
お車の場合は最寄りのICは、東海北陸道の白鳥インターです。
私共、スターナゴヤHPをご覧下さり、
重ねて御礼申し上げます。
以前スターナゴヤにご宿泊頂いたお客様!
又、初めてスターナゴヤにご宿泊頂けるお客様、
毎日、愛知県下や名古屋市内に繋がる何かをテーマに選び
ブログを更新しております。
本日のテーマは名古屋市内のいくつか御座います、
繁華街の1つをテーマに選びました。
スターナゴヤからは
名古屋市市営地下鉄東山線で乗り換え無しで行けます。
伏見
伏見(ふしみ)とは、愛知県名古屋市中区錦にある一地域です。
スターナゴヤからは地下鉄東山線、乗り換えなし20分ぐらいの
距離です!元々伏見町と呼ばれていましたが、
現在の地区名には残っていません。駅周辺部は
オフィス街となっており、かつて旧東海銀行本店があった
名残から金融・証券系の名古屋支店や駅北部には
アパレル商社や繊維問屋街が立地しています。

また地下鉄東山線栄・藤が丘方面ホームの栄方先端部の
改札より線路に沿って地下街(伏見地下街)が伸びています。
この地下街は開業当初そのままの雰囲気を残しており、
長者町繊維問屋街が直上に位置する場所柄、
時価より安い衣料を扱う店も多いそうです。
また、昭和30〜40年代の面影を残す喫茶店や理髪店、
他にも開業当時の店舗を利用した種々の商店
が存在します。地下街の終点から地上に上がれば
栄駅との中間点辺りに出ます。

伏見に有る施設は・・・
白川公園。名古屋市科学館。名古屋市美術館。御園座。
でんきの科学館(電気文化会館)
三井住友海上しらかわホール。名古屋観光ホテル。
ヒルトン名古屋。名古屋クラウンホテル。
朝日新聞社名古屋本社。読売新聞中部支社。
新名古屋ミュージカル劇場。名古屋商工会議所。
日本銀行名古屋支店。名古屋市消防局中消防署。
伏見地下街。名古屋インターシティ。
NTTデータ伏見ビル。
最寄り駅は、地下鉄伏見駅。

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